お知らせ

2018年9月16日さゆり利用状況 -18年9月16日現在-

・入居数 18名  → 空室1
・ショートステイ 2名  → 1名ご相談可能
利用にあたっては事前にお問い合わせください。

2018年8月26日さゆり通信「あなたはどうなの? 〜チームさゆりを支えるために〜」

人の悪いところはよく見える。あの人はこうだから・・・。では、あなたは?
毎日、いろいろなことがあります。自分一人ぼっちで生きている人なんて、世の中にはいなくて、何らかの関わりの中で生きています。家族、友達、仕事の仲間。無人島で暮らしているのでなければ誰かとは関わっているはず。それらの人と関わりを持てば持つほど、自分とは違う「相手」というものを自覚し、何らかの感情を持ちます。そのとき、すんなり相手を認められれば良いですが、「?」「ちょっと違うぞ」と思った時に、相手の嫌なところを無意識に指摘していることがあります。ある意味、観察力があるので良いのですが、自分を正当化するために、自分目線のみで相手を評価していることがあります。そこが問題!! 
概ね、あなたも相手も、一緒です。相手の悪いところは、自分を反省するための良い教材。どんなにうまくいっていても、必ず反省点はあるはず。その自己反省、自己洞察、謙虚な気持ち、これらがなければ飛躍・進歩はありません。オリンピック選手が、どんな良い演技やperformanceをしても、金メダルを取ったとしても、次の大会に向けてすぐさま反省と修正にかかるように。
 
脚下照顧(きゃっかしょうこ);他者の批判をする前に、まずは自分自身をみつめ、自らを照らし顧み自己反省すること。相手が自分にとって「違う」と思った瞬間、まだこの程度なら良いですが、あえて、攻撃的態度をとられたときや真っ向意見が違ったときに、どれだけ冷静に、自分とは違う相手をみることができるか。特に、嫌な思いをした時ほど、どうして、相手はそういう態度をとったのか、自分の非は全くなかったのか、考えられますか?相手と自分の立ち位置を一度交換させて、自分が相手になって、どのような思いがあったからその人はその行動になったのか、そのような態度や言動をしたのか、考えてみて下さい。そうすると、自分よがりの判断や感情が、ふっとぬけて、ああ、こういう面もあるのだな、こういう考え方もあるのだな、と気付くことがあります。そしてそれが良いのか悪いのか、これからどうすれば良いのか、少し進むべき道が見えてくるのだと思います。 
 
脚下照顧;
このことは、仲間を受け入れる時のコツ、仲間であり続けるためのコツともいえます。
また、医療・看護・介護を提供する者として、「あなたのことを大事に思っています」という私達の根底にある思いを表現すためにも大事な考え方だと思います。
 
一人一人は能力も違えば、持っている考え方や経済観念等も違うでしょう。でも、ここで会ったのはまさに「一期一会」。さゆり入居者様の病状や生活力を良くしていくためには、個々の力のでこぼこをうまーくまとめて皆の力の集結で大きな○になれば良いわけです。教えたり、教えてもらったり、の関係はこれからも続きます。
また、入居者様やご家族様からのご意見も、冷静に受けとめていますか?私も患者家族の立場を経験しましたが、一生懸命やっているスタッフに、沢山、沢山言いたいことがありました。受ける側(患者&患者家族)と施行する側(スタッフ)がぴったり一致はなかなか難しいものです。でも、根本に、先ほども記したように「あなたのことを大事に思っています」という思いがあれば、多少の行き違いが時にあったとしても、何とかなるものかと。でもそれにあぐらをかかず、やはり脚下照顧、です。
自らを反省する気持ちを忘れないこと。失敗も反省しなければただの失敗。それを活かすことができてこそ、です。
失敗を叱責はしません。反省せず、自分はちっとも悪くない、と言い張ることの方が罪は深いと思います。
私達は、チームです。スタッフも患者様もご家族も、大事なチームの一員。大事な家族です。自らを反省する気持ちを忘れずに、より良い高みを目指しましょう。

2018年7月31日さゆり通信「歳をとること」

私は在宅医療に関わって16年目になろうとしています。医師としての34年あまりの仕事の中でも半分が在宅医療になろうとしています。自宅にいて医療を受けようとする方は高齢者が多いので、高齢者医療とも言える一面があります。高齢者からのお声を聞く機会が多いので、その中で感じたことをお話ししたいと思います。
みなさんの中でも祖父や祖母、曾祖母など高齢者と同居している方もおられると思いますが、一方で核家族化して高齢者との同居、年をとっていく身内と毎日接するような生活を送っている方は少ないのではないでしょうか。
「もう歳をとって何にもできなくなったよ」 
「生きていてもやることもないし、何かをやる気力もないよ」
こんな憂いの言葉をよく聞くことも事実です。果たして、そのとおりなのでしょうか。
高齢になる、その意味を考えたことがありますか。
歳をとる。このことは絶望でしょうか。今までできていたことができなくなることへの喪失感。そのために毎日暗い日々なのでしょうか。自分はもう役に立たない、と感じることで避けては通れないいつかは来るであろうエックスデイ(Xday)を待つだけの存在なのでしょうか。確かに、目は見えにくくなり、耳は遠くなり、早くは歩けないし、頭の回転も昔のようにはいかない。動作はゆっくりになり、忘れることも多くなり新しいことへの理解は困難になってきます。そういう意味では、一人でできること、は少なくなってきます。そして誰かの手助けを必要とするようになります。このことがクローズアップされると高齢者が生きることは限りなく低い評価となってしまいます。
もう何もできない、役に立たない、と思うこと。思ってしまうこと。これはそのかた自身の考え方にもよるのでしょうが、周囲の人ができない方を、できない方、として扱えばそのようになってしまいます。でも私達は、たとえできなくても笑顔や感謝の言葉等の言葉で周囲を温かくしてくれるありがたい存在である、ということも知っています。
 
反論できない、あがなうことができない身体的あるいは認知機能低下状態の方を、どう接するか、どう言葉をかけるかは看る側の良心に委ねられています。文句を言わないので乱暴にしてもかまわない、後回しにしてもかまわない、と思えばそうできてしまいます。でもそうしないのは、なぜ???・・・良心があるから。
自身の良心を磨くために、自身でいろいろなことができない方はあなたの前にいてくれる。そういう意味がある。だからこそ、あなたのために、「できない方」は有り難い存在です。そう考えると、できなくなった方、高齢や障害で自分のことができなくなった方をみるという行為は、自分磨きの行為でもあります。
高齢の方、できなくなった方、是非、私達の良心磨きのために、私達のためにいて下さい。 
そして、あなたのことを大事に思っています、という気持ちを伝えさせて下さいね。
 
存在していただいていることのありがたみ。Doingの価値も大事ですが、Beingの価値はもっと大事。今、できる人たちは自分がひとりでできるようになった気がしているかもしれませんが、生まれた時は、何もできない小さい存在でした。が、周囲を喜ばせました。人とは、本来、そんな存在なのではありませんか?
できることに傲り高ぶるのではなく、できる人はその能力を遺憾なく発揮すること。その目的は、人に尽くすことであるから。
人に尽くすという意味では、存在そのものが、既に人に尽くしているのですが、自分のできることが何かを考え、doingの存在の時は是非行動を。
Doができなくなれば、beとしての存在にむねをはって。

2018年6月26日さゆり通信「幸せは気付くもの」

あなたは今、幸せですか?
幸せの判断を何処でしていますか?
周りにはたくさんの物があふれ、食料だって困ることはない。今年の夏は暑そうだけど、クーラーや扇風機をつけて快適な生活空間を作ることもできる。週末には、美味しい物を食べに行こうか、と家族と話したかもしれない。貯金を少しづつ増やし、将来は…を買おう、旅行に行こう、と計画しているかもしれない。
では、あなたは今幸せですか?
あなたが幸せを感じる、その基準は?世の中には、たくさんのの情報があって、たくさんの価値判断があります。もしかしたら、自らの置かれている状況を周囲と比べる、ということで自分の幸せ度を計っていませんか?
 
「幸せは築き上げるもの。向こうからやってくるなんていうのは、世の中ないよ。」
という考えを持っている人も多いのだと思います。大人ですから、社会の軋轢(あつれき)の中で生きているはず。毎日毎日、苦労の中で生きているはずですから、棚ぼた、的なことなんてそう世の中あるものではありませんね。だからこそ、築くもの、作っていくもの、積み上げていくもの、と感じてしまうのかもしれません。これも一理あるかもしれませんが、ちょっと視点を変えてみませんか。
ゆっくりと、落ち着いて、良く、見渡して下さい。あなたの置かれているそのすぐ傍に、そして今おこっているこの事象そのものが、実は幸せなことなのではないですか。あなたは、それに気付いていないだけではありませんか?
今こうして、仕事に来ていることも、無事に交通事故なくたどり着いたことも、お子さんが今日も元気に学校へ行ったことも、ご主人が朝出社したことも、今日、食事ができたことも、おこっていることすべて、本当は有り難いことです。
当たり前、と思っている一つ一つの小さいことが、実はとっても幸せなことなんだ、と気付くことこそ、幸せになる秘訣でしょう。庭に一つの花が咲いたことさえ、あなたの心を和ませたのであれば、それも大いなる幸せの享受です。
「それが幸せなことなんだ」、と感じる謙虚な心を是非持ちたいものです。そして、その幸せに感謝の心を持ちたいものです。
幸せは、あちらこちらにあるのに、それを幸せだと思わない傲慢な心は捨てたいですね。小さいことだと思っていたこと、取るにたらないと思っていたこと、当然だ、と思っていたこと、それらも幸せと気付くこと、気付いた瞬間、それは小さいことなのではなく、幸せの種、であり、幸せの花になります。どうぞ、幸せの花をたくさん見つけて下さいね。
 
今日、患者様があなたににっこりと笑いかけて下さったのなら、それこそ幸せなことです。あなたの差し出した手を握ってくれたのなら、あなたは何と幸せな体験をしたのでしょう。あなたのかけた言葉で、怒っていたような表情、怖がっていたような表情、不安そうな表情が変わったのなら、何とあなたはすばらしい体験をしたのでしょう。とても幸せな時をもてた、ということになるでしょう。そんな職場にいること、そんな体験をできること、今日から、私達を幸せ者と呼びましょう!

2018年2月6日第3回 市民のための在宅療養フォーラム「認知症のいろいろな対応を知ろう」のお知らせ

2018年3月3日(土)14時(開場13時30分)から、佐野順子先生がナビゲーターを務める第3回 市民のための在宅療養フォーラム「認知症のいろいろな対応を知ろう」が麻生区役所 4階 第1、第2会議室で行われます。参加無料です。ぜひご参加ください。
 
■フォーラム内容
できる限り自分が住み慣れた地で、必要な医療・介護を受けつつ、安心して生活を送れる社会の実現のため、厚生労働省は「在宅医療・療養・介護」を推進しています。
私たち川崎市麻生区在宅療養推進協議会は、定期的に市民の皆様へ、在宅療養にかかわる情報を発信してきました。第3回となる今回は、多くの人が注目する「認知症」をテーマに、認知症の進行具合からみたケーススタディを通して、皆様に認知症への理解を深めてもらいたいと思います。ぜひご参加ください。
 
■認知症の進行具合からみたケーススタディ
ケース1 もしかして認知症!?
ケース2 軽度認知症障害(MCI)
ケース3 認知症症状の対応策
ケース4 認知症と間違われる病気
ケース5 心構え(認知症最終章)
 
■チラシPDFはこちら

180206_news.png
2017年8月3日運動ルーム以外の施設の一部もリニューアル

ご夫婦での入居希望に対応できるよう、夫婦部屋を新設しました。
居室の換気システムの変更により、換気機能が向上しました。

2017年8月3日施設内運動ルーム新規開設

百合丘メディカルハウスさゆりでは、施設内に運動ルームを新たに開設しました。これにより、ご入居者の健康と体力維持が日常生活の中で気軽にできるようになります。私たちはご入居者の健康と日々の楽しみをしっかりサポートし、愛される施設づくりを進めていきます。

170803_shinki.jpg
2017年5月31日さゆり通信「プロ意識」

患者さん(利用者さん)が安心して療養するためには医療と介護の両輪がきちんとバランスよく回ることが必要です。入院している時には医療の達成度が高くないと安定しているとは言えませんが、自宅に帰ればまずは生活がきちんと送れないことにはいくら良い薬を投薬されても良い状態は長続きしません。
つまり、きちんと薬を飲むこと、きちんと食事をとること、ちゃんと衛生的な生活が送れること、これらが土台となって初めて薬の効果が出るわけです。
では、さゆりではどうでしょうか。
朝起きた時のモーニングケア、排泄のケア、食事の介助、寝具の整容等々、お手伝いしないときちんとできる人はいません。
まさにさゆりは生活の場であり、医療を受ける場でもあります。ですから生活と医療はともに充実していないとさゆり居住者さんの命を繋ぐことはできません。
では、みなさんはどの立場でさゆりに従事していますか?
そして、それぞれの立場をどのように考え、無くてはならぬ存在として、プロの意識で関わっていますか?
☆コールを押せない方からの無言の要求をどのように感じていますか?そしてどのように叶えてあげていますか?
☆返答ができない方と会話をしていますか?手を握り、あなたの温もりを伝えていますか?
☆家族から離れて暮らす淋しさを、どのような言葉で癒してあげていますか?
いつもいつも、自らに問いかけて下さい。
コールがあってから行動することに慣れてすぎていないか・・・。
コールが無ければ見なくてもいいのですか?
もし、自分の親や兄弟が入院した時、食事はとれているのだろうか、摂取量が少なければ、大丈夫だろうか、心配になりますよね。その気持ちで入居者さんをみていますか?食べていようが食べていまいが関係ない。そんな気持ちがどこかにあるのだとしたら悲しいことです。だって、私達は家族に代わってお世話をしているのですから。布団がぐちゃぐちゃになっていたり、洗面台やベッド周りが火事場のようにいろいろなものが散乱していたら、それは悲しいことです。整理整頓、それはその人の精神状態、頭の中の整理整頓状態でもあります。入居者さんご本人はそれが自分ではできないのですから、私達が代わりに行うのです。それが生活を見る、ということです。そして、楽しみを生み出すことも大事な私達の仕事です。希望が無いこと、つまらない・・・と思うことは良い精神状態を生みません。是非、希望、楽しみを一緒に考えられるスタッフでいて欲しいと思います。
介護保険上のケアプランに乗っているから〇時に訪問するのですか?
私達の施設は、介護保険上のサービスもしますが、一日のほとんどは介護保険とは無関係の施設サービスで成り立っていることを忘れないで下さい。介護プランに乗っていない時間帯の方が多いことは明白でしょう。介護保険上の動きだけでは非常に!!!片手落ちの仕事しかしていないことになります。その事をまずは日々思い出し、仕事に当たって下さい。
看護と介護の共同作業、多職種連携。それはおんぶに抱っこの仕事関係ではありません。お互いがお互いの職分を充分果たし、その上で、より良い成果が出るようそれぞれの立場で意見を出し合う関係のことです。やってもらってよかった、と思うのは甘えです。一方、これは介護の仕事、これは看護の仕事、だからこれは自分がやらなくても良い、と考えるのも間違いです。どちらが上でも下でもありません。ただ、もしお互いの職分を補うような行為があった時には、喜ばしい友好関係ではありますが、まずは、「そこは、私が責任をもってやるところです。わたしがやります。」くらいの自負を持ち、プロ意識を強く持って自分の職分を見直して下さい。
甘えたり甘やかしたり、反対に非難ばかりでもいけません。それではお互いを尊重することはできません。厳しいようですが、しっかりやって初めてお互いを認める関係ができるものです。責任ある行動、反省する謙虚さ、議論する冷静さ、良くするための知恵・前向きな思考、これらを備えてこそプロ。
オープンから3年を迎えた今、さゆりで良かった、と多くの方に言っていただいています。勲章の言葉です。私達はさゆり居住者さんを幸せにする仕事人。さゆりは生活と医療の場、私達は、それぞれの立場で幸せを運ぶプロであるべき。そんな自負を是非胸に。

2017年3月21日さゆり通信「いってらっしゃい お帰りなさい また来てね」

挨拶。
小さい頃、家をでるとき、「行ってきまーす」「行ってらっしゃーい」
こんな会話がありませんでしたか。自宅に戻った時には、黙って玄関を開けるのではなく、「ただいま~」「お帰りなさーい」短いけど暖かい会話です。当たり前すぎて、大人になった今、むしろ照れくさくて言っていない方もいるかもしれません。また、一人暮らしをして誰もいない家に帰ってくると、こんな単純な会話がないことに、そして電気がついていない家に戻ることが淋しく感じたことはないでしょうか。
では、施設に入った方、あるいは何らかの障害があってその会話を自ら発することができない方はどうしたらよいでしょう。もっと具体的に考えましょう。さゆりに入っている方々はどうですか。
まさに、さゆりスタッフの活躍の場面です。
1)私たちスタッフはまず家族の代理です。家族の一員です。
入居者様と私達の関係はもはや家族そのもの。朝起きて最初にかわす挨拶。おはよう!年下の立場である私達は、おはようございます、が正しいでしょうか。また、家族間での挨拶、お互いを尊重して声をかけあいますよね。さゆりという家庭の一員であるスタッフ同士は、お互い会った時には仕事だから来て当たり前、なのではなく気持ちよくにっこり・・・がいいですね。そのほんわかした温かさを入居者さんは自分の家庭の温かさとして感じてくれることでしょう。
2)私達スタッフは入居者様の代理としての行動もします。
例えば、歯医者さんやマッサージの方が来訪したとき。自宅で迎えるときにはどのように声をかけますか?「こんにちは」「いらっしゃいませ」「よろしくお願い致します」等々。無言でお迎えすることは絶対にありませんね。さゆりに入居している方々は、多くの方は自ら玄関までお出迎えすることはできません。ですから、その代わりに私達が挨拶するのです。自分の家に誰か来訪者が来れば、無言でその人を入れることはありませんよね。宅配業者がピンポーンとドアチャイムを鳴らせば、玄関まで行きドアを開け「ご苦労様です」と言いませんか。あるいは修理業者さんだったら「よろしくお願いします」と言って迎えませんか。さゆりにはいろいろな方がいろいろな目的でやってきます。その方々を無言でお迎えすることはありません。来訪者には私達が入居者さんに代わって挨拶しなくては。
お見舞いの家族が帰られるとき。入居者ご本人が自分の足で動いて玄関まで送ることはできません。ですから動ける私達がせめてエレベーターのところまで、「また来てね」「気をつけて帰ってね」の思いを込めてお見送りするのです。これはスタッフとお客様という関係で行う行動ではありません。入居者様の代わりとしての行動です。
こう考えると、来訪者様への挨拶がいかに大事かわかりますよね。業者だからといって、介護関係者だからといって、歯科医師や薬局の方だからといって、座ったまま挨拶するのは本来無礼な行動です。品格が問われます。忙しい時など送れないなら、せめて席を立って挨拶しましょう。相手が偉いとか偉くないとかではなくて、品位の問題です。
私は特養や有料老人ホーム、グループホームなどのさゆり以外の施設も診察に行きます。その時に、その施設スタッフが様々な対応で私を迎えます。すぐ席を立ち、挨拶してくれるところもあれば、あなたは誰?みたいな対応の施設もあります。立ち止まって必ず挨拶してくれるところは、きちっとしている施設だなあと感じます。そして何よりも、気持ち良く迎え入れてくれる施設は温かいな~と感じます。これは受付スタッフだけの問題ではありません。廊下をすれ違うすべてのスタッフから受ける印象です。ということは私達さゆりでも、さゆりに来た来訪者はスタッフにすれ違う度にこのように感じていると思います。さゆりは温かさを来訪者の方々に伝えていますか?とてもよい仕事をしているのに、あまりにも自分の仕事に没頭しすぎていて周りが見えていないような行動をしている人はいませんか。誰かが来た、でも私には関係ないやと言って頭を上げない、あるいは席を立って挨拶しない人はいませんか。あなたの行動は見られていますよ。
挨拶は人としての付き合いの基本です。そして冒頭にも言ったように私達一人ひとりは入居者さんができないことも代わってやるお役目があります。会った時の笑顔が、すべてを物語ります。すてきな笑顔をどうぞ惜しみなく出してください。家族の一員として、入居者さんの代理として、そしてさゆりのスタッフ自身として、いろいろな意味を含めてすてきな笑顔をください。今という時を共有できる喜びを是非笑顔で。さゆりfamilyはほんわかと温かい。それは私一人が作り出せるものではなく、皆の共同でできるものです。すてきな笑顔、それを見ると私は何より幸せの気持ちになります。みなさんもそうではありませんか。

2016年8月25日さゆり通信「私達、さゆり組  ~一生懸命やっても…。いいえ、あなたがいるから大きな力になる~」

ありがとう、この言葉はもらって嬉しい一番のご褒美です。
でも、自分としてよかれと思ってしたのに思いが通じなかった、という経験もあるはずです。
一生懸命説明しても相手に伝わらない、むしろ逆に取られてしまった、なんてことも人生の中ではよくあることかもしれません。
ましてや、痛みなど病気で苦しんでいる方にとっては他者のことなど慮れる余裕もない。
余命が厳しい時もそうかもしれません。
何かの不安にとりつかれている時もそうでしょう。
これの代表的な例は認知症患者さんにみられるBPSDで、
この時には暴力や暴言、易怒性のため甚だ困ったことになります。
私達は、難治性の病気や高齢者の方々をお世話する職種であるため、
思いもよらない苦労に遭遇することがあります。
ですから、一生懸命やっているのに・・・と思わず思ってしまう事象にあってしまうこともあるでしょう。
そのような方々に私達ができること、そしてどうやってそれに立ち向かっていくか。
まさにその答えは一人で立ち向かっているわけではない、そこに解決策があります。
仲間がいる。こんなにありがたいことはありません。
一人一人はとっても小さな力しか持たない。
能力もそれぞれバラバラ。
でもそのバラバラな能力、力、でこぼこ軍団もまとまれば大きな丸になる、力になる。
誰かが欠けてもだめです。
あなたが必要です。一人一人は甚だ過不足ではあるけれど、
組合わさればぴったり隙間が埋まり、がちっとはまる。はまったら崩れない。
ころころと転がれば雪だるまのようにどんどん大きくなって力も大きくなる。その力は無限大。
想像しただけでもわくわくしちゃう。
そうだ、これこそさゆり組。私達の原動力。
ちょっとやそっとのことでは負けない。私達、仲間だから。
どうやったって、文句ばっかり言われるよ。そんなことだってありますよ。
でも、それでも沢山のプレゼントをもらっていることも忘れないで。
苦労の中だからこそ、笑顔をもらったら、やった!と言って喜ぼう。笑顔を引き出せたらこちらの勝ち!
すべて一期一会。悩み、泣き、笑い、それもすべて良し。
私達自身へエールを!ふれー!ふれー!さゆり組!!